5月9日は母の日です☆
皆さんちゃんと日々の感謝しましたか!?
母の日にカーネーションというのはどうやって始まったのかちょっと気になったので調べて見ました。
どうやら母の日とカーネーションが結びつくキッカケは、20世紀初頭のアメリカで活躍した女性社会活動家のミセ ス・ジャービスがカーネーションが好きだったと言うことに由来しているようです。
ミセス・ジャービスの亡くなり、その追悼式で娘のアンナが参加者に白いカーネーションを渡していが、その後アンナの提案によ り、母が存命する人は赤いカーネーションを、母を亡くした人は白いカーネーションを自分の胸につけるようになり、これがいつの間にか慣習化していったそうです。
その後、いつしか母にカーネーションを贈るのが普通になってきた訳ですが、もともとカー ネーションは”母と子”や“母性愛”の象徴とされており、そのことも関係しているようです。
日本で母の日が普及し始めた当時のカーネーションは、ほとんどが造花だったようです。戦後、「全国未亡人団体協議会」などが中心に造花の赤・ 白のカーネーションを販売していたのですが、母親のいる子は赤、いない子は白と区別をつけることで幼心を傷つけてしまうのではという懸念や、義母に育てられた子への配慮などから、1960年より赤一色に統一されたんだそうです。
うーん、なかなか奥が深い・・・
普段何気なく行っている事も調べてみると知らなかった事がたくさんありますね!!!
体験村のキャンプでは親子で花を贈る機会はないですが、今年のキャンプでは長期を活かし、子ども達の期間中に自宅への連絡は電話ではなく手紙を用いようと検討中です。伝えたい事、キャンプ中にあった出来事などを手紙にして送ります。きっと送ったら返事が返って来るまでドキドキですね。
今は携帯も普及しているし、きっとまどろっこしく感じるのかもしれませんが、たまにもらう手書きのレターはなんとなくうれしいもの。 保護者の方には少々ご負担をお掛けすることになりそうですが、遠方で奮闘中のナイト達と是非そんなドキドキを味わって頂けたらと思います☆
(タケ)
ミセス・ジャービスの亡くなり、その追悼式で娘のアンナが参加者に白いカーネーションを渡していが、その後アンナの提案によ り、母が存命する人は赤いカーネーションを、母を亡くした人は白いカーネーションを自分の胸につけるようになり、これがいつの間にか慣習化していったそうです。
その後、いつしか母にカーネーションを贈るのが普通になってきた訳ですが、もともとカー ネーションは”母と子”や“母性愛”の象徴とされており、そのことも関係しているようです。
日本で母の日が普及し始めた当時のカーネーションは、ほとんどが造花だったようです。戦後、「全国未亡人団体協議会」などが中心に造花の赤・ 白のカーネーションを販売していたのですが、母親のいる子は赤、いない子は白と区別をつけることで幼心を傷つけてしまうのではという懸念や、義母に育てられた子への配慮などから、1960年より赤一色に統一されたんだそうです。
うーん、なかなか奥が深い・・・
普段何気なく行っている事も調べてみると知らなかった事がたくさんありますね!!!
体験村のキャンプでは親子で花を贈る機会はないですが、今年のキャンプでは長期を活かし、子ども達の期間中に自宅への連絡は電話ではなく手紙を用いようと検討中です。伝えたい事、キャンプ中にあった出来事などを手紙にして送ります。きっと送ったら返事が返って来るまでドキドキですね。
今は携帯も普及しているし、きっとまどろっこしく感じるのかもしれませんが、たまにもらう手書きのレターはなんとなくうれしいもの。 保護者の方には少々ご負担をお掛けすることになりそうですが、遠方で奮闘中のナイト達と是非そんなドキドキを味わって頂けたらと思います☆
(タケ)